CCA Japan タイマッサージスクール理論講座
タイでタイマッサージ師として要求される倫理感は、仏教がバッククランドになっています。タイ人は96%が仏教徒です。
 
 
1時間目
タイのタイマッサージテキストには、少しお説教臭い教えが書かれています。
その古めかしい言い回しは、少し拒否感さえ感じさせるもので、足早に通り過ぎがちです。
ここでは、そのバックグランドになっている仏教の源泉側からアプローチし、現代的で新鮮なエッセンスを加え、少し立ち止まって考え直してみようと思います。

お医者さんのモラルや倫理の基本になっているのは「ヒポクラテスの誓い」です。
それは、

1.恩師への服従
2.能力と判断の及ぶ限り患者の利益を目的として治療する。不正目的の治療はしない。
3.求めれても安楽死や堕胎の手助けはしない。
4.患者等他人の秘密を守る。

などですが、タイではタイ伝統医学のタイマッサージ師はお医者さんと同様なので、ある程度医師同等のモラルや倫理が要求されています。
ヒポクラテス(紀元前460年-紀元前377年)は古代ギリシャのお医者さんで、現代医学のシンボル的存在ですが、これをタイマッサージになぞらえれば、とりわけインドのシワカ・コマラパが該当するかと思われます。

シワカ・コマラパは、仏陀の時代の人ですが、タイマッサージのモラルと倫理には、仏教の教えがにじみ出ています。

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理論講座
1時間目
タイマッサージ道
2時間目
癒しの瞑想
3時間目
タイマッサージの歴史
4時間目
タイマッサージの分類
5時間目
四大元素理論とタイ伝統医学の基礎
6時間目
10本の主要エネジーライン
7時間目
行列のできるマッサージ
8時間目
タイマッサージの秘訣と独特のリズム
9時間目
タイマッサージの4ポーズ
10時間目
タイマッサージのテクニックと略語
11時間目
タイマッサージの解剖生理学(1)
12時間目
タイマッサージの解剖生理学(2)
13時間目
タイマッサージの法律
14時間目
タイハーブとタイ伝統医学
15時間目
ルーシーダットンとヴィパッサナー瞑想
16時間目
理論テスト

 
タイマッサージ道
悟りへの道 
タイマッサージ師の倫理規定の中に「四無量心を持ってクライアントに接すべし」という項目があります。
タイマッサージ道とは、四無量心(しむりょうしん)を育てる道です。
四無量心とは慈(じ)悲(ひ)喜(き)捨(しゃ)の限りない心です。
」は相手に楽を与えたい心
」は相手の苦を除いてあげたい心
」は相手の幸福を共に喜ぶ心
」はそのことに執着しない心
 慈悲はセラピストの使命、喜はセラピストの生きがい、捨はセラピストのプライドです。
タイマッサージ師は、四無量心を修行(道)として育み、瞑想の対象とします。
 タイの仏教と日本の仏教
 タイの仏教徒数は人口の96%、日本は35%です。
タイの仏教は小乗仏教で、日本の仏教は大乗仏教です。
乗は船というの意味で、大乗仏教側は 『小さな乗り物』として小乗仏教をヘイトしました。(現在は、小乗仏教のことを上座部仏教と呼びます。)
小乗仏教は自分が救われようという教えで、大乗仏教はみんなで救われようという教えです。
タイの僧侶は、寺に住んで厳しい戒律を守り、自己の悟りを目指してひた
すら修行に専念し、一般の信者はお寺にお布施や寄付をすることで修行僧
を経済的にサポートしています。
タイは仏教により国家を統治してきた国ですから、仏教集団(サンガ)も国家のシステムにしっかり組み込まれています。
日本では、葬式などの時にしかあまり縁がないお寺ですが、タイ人は日常的にお寺にお参りします。
タイで早起きして街に出ると、人々が黄色い袈裟をかけた僧侶に、今日の食べ物をタンブン(お布施)している清々しい光景に出会います。
国家が若い労働力も吸収してしまう生産性のない大きな仏教集団をかかえ、その社会的な価値に疑問を持つ人もいるかと思います。
タイは物質的にも発達しており、セブンイレブンなどのコンビニが所々にあって非常に便利ですが、それと同じようにお寺屋さんが所々に開いていて、国民のストレスを吸収して精神的にケアしているとも言えます。
仏教は2500年位前、インド(現在のネパール)でゴータマ・ブッダが悟りを開いて説いた哲学を、約100年後にブッダをスーパースターに祭り上げ、教えを集めて作った宗教です。
タイなどに伝わった小乗仏教はブッダの説いたものに近いと言われますが、タイ人は変化に無関心な国民ですから、それを暗記して唱えるだけで、議論したり新しい解釈を加えたりはあまりしません。
一方日本に伝わった大乗仏教は、革新的に多様化・分派し、仏教と似て非なるものとして偽教とも言われています。
 タンブン思想
修行に専念するエリートの仏教徒に対し、タイ庶民の仏教徒の仏教観はかなり異なっています。
基本は、「善行をすれば良い運命が返ってきて、悪行をすれば悪い運命が返ってくる」と言う考え方で、善行と悪行の獲得マイレージの差で、その人の幸不幸が決定されると考えています。
それは、主に来世の生まれに影響しますが、残りの今世でも運が尽きたりすることもあります。
そして一番マイルの貯まる善行が、お寺に対するタンブンで必須行為なのです。
これを「タンブン思想」と言います。
今世で貧乏や不幸に生まれて来た人は、前世の善行が足りなかったので自業自得なのです。
うまく出来た社会システムですが、庶民はブッダ的悟りではなく、お金持ちに成るとか、高い地位を得るとか、成功するとかの現世的なご利益を求めてタンブンするのです。
それは、ブッダ的には苦をもたらすのですが…。時々、タイの坊さんは早朝タンブンを受けるために歩くので、偶然それに遭遇した若者が、なけなしのお金で買ったテイクアウトの朝飯をタンブンとし差し出しているのをしばしば見かけます。
お金持ちや、地位のある人、企業などが、これみよがしにタンブンすると、よっぽど悪いことしてるんだなと思って見てしまいますが、こういう庶民の素朴な情景は美しさを感じさせます。
 
愛を否定する宗教
 ゴータマ・ブッダは、北インドのガンジス河流域の釈迦国の王子として生まれ、16歳で結婚し子供をもうけたましたが、その他に複数の妃と子供がいたという説もあります。
つまり、生まれながらにカネ・モノ・地位・名誉・美しい女性を簡単に手に入れられる環境にありました。
欲望は満たしてしまえば虚しく、新たなる欲望が湧いてきます。
ブッダは「悟りを開く」新たな欲望を抱いて35歳で王国と妻子を捨て出家しました。
その頃はバラモン教の社会で厳格なカースト制度があった為、王子が上位のバラモンの僧侶になるのはルール違反でした。
さらにカースト制度を無視して、あらゆる階層出身者を弟子にし、社会の秩序を混乱させた為にバラモンの怒りを買って晩年毒殺されたとも言われています。
ブッダは6年の苦行の結果、悟りは得られず、瀕死の状態で少女スジャータのさし出したミルク粥に命拾いします。
その後、菩提樹の木の下で瞑想をして49日後悟りを得ました。
『人生は苦であり、苦は執着により生じ、その対象は移ろいやすく、すべては幻である。
  無我、つまり個は存在せず、あるのはその関係性(縁起)のみで、特に苦を生じる執着の元凶として「愛」をやり玉にあげています。そして、その執着から解き放たれた時こそ、輪廻転生の車輪から抜けられるのだ。』と説いています。
しかし、わたしたち凡人がそこに感じてしまうのは、クールなブッダと人生の無常感です。
ところが、真実のブッダの言葉は意外にも、その幻の関係性に対する限りなき慈しみと思いやりなのです。
ブッダの言葉
『目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。』
『あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし。』
『諸々の邪まな見解にとらわれず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。』 
(スッタニパータ『ブッダのことば』岩波文庫より)
ブッダはその地方の言葉で、とてもやさしく語りましたが、弟子たちの時代になってからはサンスクリット語などの格式高い言葉で、日本では漢語でより難解に語り継がれました。
そうしてバカ弟子たちによって、難しく、高尚なものにデフォルメされ、彼らの特権にされてしまうのですなあ。
レレレのおじさんの悟り
ブッダの弟子にチューダ・パンタカという人がいて、この弟子は時々自分の名前を忘れてしまうほどの大バカで、お経をまったく覚えられませんでした。
ブッダは、この弟子にほうきと「塵を払い垢を除かん」という短い文言を与えて、祇園精舎(お寺)を掃除させました。
 バカ弟子は、祇園精舎をピカピカにしましたが、十年、二十年経ってもブッダは「良し」と言いませんでした。
ある時、ブッダが通りかかる前に境内を掃除しようと行くと、子供たちが遊んで境内をめちゃくちゃ汚していました。
バカ弟子は激怒し、子供たちにほうきを振り上げますが、その瞬間「そうだ、塵と垢で汚れているのは己の心だ」と気づきました。
しばらくしてチューダ・パンタカは悟りに達し、阿羅漢(アラカン)の一人となりましたとさ。
私たちは、普段自分の見たくないものを無視して、見たいものしかみていません(スコトーマの原理「苫米地英人」)。
あるがままに見ること、それが悟りへの道です。
 苦行の日
次はタイマッサージの理論で、実際に、教えられことです。
少し苦痛だと思いますが、苦痛は修行になります。 
 タイマッサージの学習心得 -オールドメディソン文部省検定合格教科書より-
タイマッサージは、理論と実技(技術)から成り立ちます。
タイマッサージを学ぼうとする者は、理論を正しく深く理解し、正しく安全な実技ができるように、次の4つのチャイ(心)を持つことが必要です。

1.興味を持つこと ソン・チャイ
タイマッサージは、相互の健康増進に役立ち、己及び家族を養うことができるものであると信じ、その学習に興味を持つこと

2.意欲を持つこと タン・チャイ
タイマッサージを学ぼうとする者は、強い意思を持ち、勤勉で忍耐強く、安全で正しい施術ができるように、技術の向上に努めること
そのためには

①教える人の話を良く聞くこと
②原因と結果をよく考えること
③分からないことは、恥ずかしがらず人に聞くこと
④ノートをとること

3.熱心であること サイ・チャイ
タイマッサージを学ぶ者は、常に熱心で、他人の言葉に耳を傾け、反対の意見も考慮し、常に最新の知識や技術を習得するように心がけること

4.誇りに思うこと プーミ・チャイ
タイマッサージは、祖先が継承してきた財産であり、タイ人のアイデンティティとして、他の職業に劣らぬりっぱなものであると誇りを持つこと
タイマッサージの学習方法 -オールドメディソン文部省検定合格教科書より-
1.ステップバイステップで、順序良く勉強すること
2.ノートをとり、自分でマニュアルを作成すること
3.手順の説明図を描くこと
4.宿題をすること
5.宿題は必ず提出すること
6.毎日出席すること
7.復習すること
8.仲間と練習しあうこと
9.わからないことは、その日のうちに解決すること
10.プロの施術を良く研究すること
セラピストの人格 -オールドメディソン文部省検定合格教科書より-
ただ技術や知識があるのみでなく、気質が穏やかで、どんな対応も適切でまとを得たものであること。
立ち振る舞いが品行方正で、道理にかなっていて、みんなから信頼され、優美さをもったセラピストであるように、日頃から「身・口・意」(しんくい)をコントロールできるように鍛錬すること。
セラピストのモラルと倫理 -オールドメディソン文部省検定合格教科書より-
1.自分に自信があるかどうかを問わず、自分の実力を誇大表示・吹聴しないこと。
良いセラピストは、口コミで、自然に広まって行くものである
2.どんな種類のことでも、報酬や名誉のためにクライアントを落としめてはいけない
3.他人を低めて、自分を高めるような態度で、他人の信望を失なわないこと
4.女性のクライアントに、身心両面で紳士的な扱いをすること
5.賭け事、異性、ドラッグに耽溺して、破滅を導かないこと
6.同僚、クライアント、その他の人たちに、生まれ、年齢、国籍を問わず、敬意を持って接すること
7.思念と自覚をそなえ、仕事に関係する分野の勉強に専念すること
8.クライアントの秘密は絶対に他人に漏らさないこと
9.四無量心(しむりょうしん)を持ってクライアントに接すること
四無量心とは慈悲喜捨(じひきしゃ)で、「慈(じ)」相手に楽を与えたい心、「悲(ひ)」相手の苦をとりのぞいてあげたい心、「喜(き)」そして楽を与えられ、苦がとりのぞかれた状態を共に喜ぶ心、「捨(しゃ)」楽を与えてあげた、苦をとりのぞいてあげたということに執着しな心です。
助けってやったのに、お礼の一言も、つけ届けも無いなあというのはダメ。
タイマッサージ道とは、四無量心を育てる道です。
慈悲は、セラピストの使命です。
喜は、セラピストの生きがいです。
捨は、セラピストのプライドです。
四無量心は限りなく成長させることのできる利他的な心です。
10.幸運、運の尽き、出世、落ちぶれ、賞賛、悪口、幸福、苦痛などに一喜一憂しないこと
セラピストの10義務 -オールドメディソン文部省検定合格教科書より-
1.マッサージの始めと、終わりに祖師シワカ・コマラパ先生に祈りを捧げること
2.常にマッサージの勉強を怠らないこと
3.人に教えをこうことを厭わず、人の教えに謙虚に耳を傾けること
4.マッサージ分野以外の他分野の勉強もおこたらないこと
5.練習や修行をしない人の知識や技術を信じないこと
6.緊急的応急処置以外では、公共の場でマッサージをしないこと
7.儲け、見返りに貪欲でないこと
8.己の技能、知識を鼻にかけないこと
9.他のセラピストと良く交流すること
10.知識のないことについては行わないこと
仏教の基礎
タイマッサージは、仏教の影響を受けたタイ伝統医学の中で育まれてきました。
タイマッサージが、「タイマッサージ道」としてセラピストに求められるモラルや倫理のそのバックグランドである仏教を少し覗いてみましょう。
そして、タイマッサージが仏教という考え方のバックラウンドを持ったとき、ただのマッサージからマッサージ道となるのです。
五蘊(ごうん)
タイマッサージの原点であるタイ伝統医学は、人間の存在は五蘊(五つの集まり)で成り立っていると考えています。
蘊とは集まりの意味です。
五蘊とは、色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)です。


色は、肉体、物質的な存在、土・水・風・火の4大元素で成り立っています。
受は、感受する苦楽、快不快の感覚や印象のことです。
想は、感受したことを心の中で想うこと、感情です。
行は、何かしたいと思うこと、その行動です。
識は、心の中で、いろいろ考え、認識することです。
色は、仮に彼や彼女の肉体だとしましょう。
受は、初めて遇った時の「ドキッ」とした印象です。
想は、「素敵だなぁ」という感情です。
行は、あなたが彼や彼女にしたアプローチです。
識は、その時のメールに書きとめられています。 
仏陀は、これによって、確固とした人間の存在を説明したのではなく、単なる五蘊の集まりにすぎないと説きます。
すべては変化し移ろい行くものとして、無我を導きます。
般若心経の「五蘊皆空」(ごうんかいくう)です。
彼や彼女は、今では年をとり衰えて、一目ぼれしたときの印象や感情は一体何だったのか、その時のメールは急いで削除してしまいましょう。
仏陀は何を説いたのか?
仏陀は、この世は「苦」と「無常」の世界で、それから逃れるには因縁の法則(カルマの法則)から脱することとしました。
苦(四苦八苦)とは生老病死の他、別れや、そのチャンスに恵まれないなどの苦しみも含みます。
無常とはすべては移ろい行くこと、生まれたら必ず死ぬことです。
因縁の法則とは、ものごとには必ず原因と結果があり、偶然のものは何もないという法則です。
簡単に言えば悪いことをすれば、悪いことが起こるという思想で、これは輪廻転生というたくさんの生を超えて起こります。
それらから逃れる方法が仏教の修行です。
仏教には、中道(ちゅうどう)、八正道(はっしょうどう)、五戒(ごかい)などの教えがあります。
これらの教えが、タイのタイマッサージ師がもつべきモラルのバックグランドになっています。


中道とは、快楽主義と禁欲主義などどちらの極端にも偏らないことです。
すべての欲をたてば、人間は死んでしまいます。
仏陀も死にかけた経験から導きだされた教えです。
八正道
八正道は、次の8つです。
①正しく見る
②正しく考える
③正しく語る
④正しくふるまう
⑤規律正しくする
⑥努力する
⑦信念をもつ
⑧心をとぎすます
正見(しょうけん)
正思惟(しょうしゆい)
正語(しょうご)
正業(しょうごう)
正命(しょうみょう)
正精進(しょうしょうじん)
正念(しょうねん)
正定(しょうじょう)
ワット・ウモン ガリガリ仏陀
五戒
五戒とは、次の5つです。
①殺さない     
②盗まない   
③不倫しない   
④嘘をつかない 
⑤酒を飲まない
不殺生(ふせっしょう)
不偸盗(ふちゅうとう
不邪淫(ふじゃいん)
不妄語(ふもうご)
不飲酒(ふいんしゅ)
この五戒を守るには、出家して寺にこもっているしかないと、断念せざるを得ないわけです。
特に芸能人なんかは無理です。
ベトナム戦争時代の経験から仏教の積極的な社会参加「エンゲイジド・ブッディズム」を説いたベトナムのティク・ナット・ハン氏は、次のように五戒の現代的な解釈を提唱しています。
①生命に敬意を払う
②寛容になる
③性的な責任を果たす
④深く耳を傾けて愛をこめて話す
⑤意識的な消費をする

そして、もしあなたがあるがままの自分に気づき、いつも微笑んでいられたら(マインドフルネス)、この世は苦でも無常でもなく、美しく、喜びに満ち溢れていると説きます。

2時間目
癒しの瞑想