ナモタサ パカワト アラハト サマ サプッタサ(3回繰返し) |
オムナモ シワコ シラサ アハン カルニコ サパサタナン オサタ ティパマンタン プラパソ スリヤチャンタン コマラパチョ パカセスィ ワンタミ バンティト スメタソ アロカ スマナホミ(3回繰返し) |
ピヨテワ マヌサナン ピヨプロマ ナムタモ ピヨナカ スパンナーナン
ピニシヤン ナマミハン ナモプッタヤ |
ナウォンナウィエン ナサティナサティエン エヒママ ナウィエナウェ
ナパイタンウィエン ナウィエンマハク エヒママ ピヤンママ ナモプタヤ(1回) |
ナア ナワ ロカ パヤティ ウィナサンティ(3回繰返し) |
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【マントラのイメージ訳】 |
このマントラ(お経)は、インドのパーリ語とタイ語がランダムに散りばめられたもので、基本的に完全訳は不可能です。
ただマントラはその意味でなく、その音に神秘的な力が存在している呪文であるとされています。 |
されど意味がないと集中力を欠きそうですから、次の霊訳をイメージして唱えてください。 |
わたしたちは、ゴッドファーザー・シワカ・コマラパ先生の霊を地上にお招きします。
先生は、かつて癒しの智慧と恵みを地上にあらわされました。
どうか、その御霊がわたしたちに降りて来て、癒しの技をお示しください。
癒しの神は天高くおすまいになり、人は地にすくっています。
天が地に映しだされ、癒しの智慧とその恵みが地上に充たされますように。
この手でふれる人々から苦痛がとりさられ、幸福がもたらされますように。 |
CCAチェンマイの朝のお祈り風景 |
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神秘力を失った現代タイマッサージ |
日本の真言宗で創始者空海は、マントラ(真言)を唱え虚空蔵(アカーシャ)に行けば、私の中に一切の智(情報)は眠っているのだ。
そしてその虚空の空間に入ると「五大に響きあり、十界に言語を具す」(物質と精神には響きがあって、それぞれに言葉を用意している。)と説きました。
タイ伝統医学は、マントラ・タイマッサージ・タイハーブで構成されていましたが、現代伝統医学はグローバルスタンダードを目指してマントラ部分を省いてしまいました。
言葉の響きによるヒーリングの可能性を捨て去ったのです。
このマントラは、現代タイマッサージにかろうじて習慣として残った貴重なマントラです。 |
シワカ・コマラパ先生画像(CCA生徒につき著作権フリー) |
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スピリチュアル・ヒーリング |
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20世紀最大のスピリチュアルヒーラーと言われたハリー・エドワーズは、著書「霊的治療の解明」(梅原隆雅訳)の中で、『すべての霊的治療は霊からやってくる知的な行為です。それゆえ、治療を有効にするいかなるテクニックもありません。
治療力は私達を通して働きますが、私達のものではないのです。』 と述べています。
英国人ハリー・エドワーズの背後には、狂犬病の予防接種法を発見したフランス人の物理学者ルイ・パスツール(1822-1895)や防毒殺菌外科手術を完成させた英国人の外科医リスター卿(1827-1921)の霊が働いていたと言われています。
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霊的治療においては、治療は二義的なもので、患者が魂の琴線に触れる感動を与えることが目的です。
つまり患者を苦しめているものも、それを治癒せしめるものも、同じ原理の中で働いている目に見えない力の存在に気づくことが第一義的な目的です。
チェンマイ式タイマッサージにおいても、しばしばクライアントが深い瞑想の境地を感じるのは、そういう力によるものだと感じさせられます。
実際に欧米人たちに、タイマッサージブームが広まったのも、彼らが東洋のスピリチュアルな体験を見出したからです。
タイでは、ワイ・クルーと言って学問や知識・技術を学んだ者が、それを授けてくれた師を崇拝する伝統があります。
タイマッサージのルーツとなったタイ伝統医学では、その師を過去にさかのぼって行くと、今から2500年前のインドの仏教医学の創始者シワカ・コマラパに辿りつきます。
それにより、タイマッサージ師も施術前に、このシワカ・コマラパ先生の御霊招聘のマントラを唱え、精神を集中し瞑想状態に入るのです。
※ここでは「霊」と言う古い言葉で説明していますが、現代ではそれを共有の「情報の場」と考えてください。 |
漫画シワカ・コマラパ物語 |
今から2500年前、マガダ国のビンビサーラ国王は、ブッダがまだ釈迦族の王子であった時から親交のある人物で、後に仏教に帰依した王様です。
首都ラージャグリハ(王舎城)は、美女たちを並べた娼館が有名で各国の商隊がそこを好んで通過したので、いろいろな国のいろいろな物資が集まり繁栄しました。 |
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その娼館で一番の美女はサーラヴァティーといい、当然王様のお手付きとなりました。
サーラヴァティーはビンビサーラ王の子を宿したので、ゴミ捨て場に密かに捨てます。
その出生が知らされれば殺される運命にあったからです。
そこにビンビサーラ王の息子アパヤ王子の行列が通りかかり、カラスが集まっていたので家来に調べさせると赤子が見つかりました。 |
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王子が「まだ生きているか」と問うと、家来が「生きています」と答えたので、シワカ(生きている)と名付けられ、アパヤ王子の子供として大切に育てられました。
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シワカは成長し自らの出生の秘密を知ると、独立の意思を持って王宮から家出し、その頃の学問の中心であったタキシラの地(現在のパキスタン)の名医ピンガラ(賓迦羅)から7年間医術と薬学を学びます。
シワカはずば抜けた生徒で先生に教えられるというよりは、いつも適切なアドバイスを先生に与えた弟子だったようです。
シワカの卒業試験は、森に入り植物の中で薬にならない草を探してこいと言うものでしたが、シワカは手ぶらで帰って来て、「万草薬草」つまり薬にならない草は何もないという答えで、他の学生たちを凌いで卒業します。
ラージャグリハへの帰り道、6年間頭痛に悩まされていた大金持ちの婦人を痛みから解放し、褒美にたくさんの金品・奴隷・馬車をもらいます。
アパヤ王子のもとに帰ったシワカは、自分勝手な行動を謝罪し、それらの金品を差し出しますが、王子にとっては無事に帰って来たことだけで十分な贈り物でした。
シワカの医療は、ハーブやオイル・バターを塗りマッサージする外科的治療、ハーブを処方する内科的治療、腹部の切開手術、頭蓋骨を切り開く脳外科手術に至るまで多岐に渡るものだったと記録されています。
インド伝統医学「アーユルヴェーダ」の系譜の中では、シワカは「インド外科学の父」と言う記述も見られます。
シワカの医者としての名声はブッダまでにも知られることになり、ビンビサーラ王の紹介でブッダの主治医となり、仏教医学を創設しました。
ウッチェニー国の暴君チャンタパチョー王は、長い間持病に悩まされていましたが、名医シワカ・コマラパの噂を聞いて出頭命令を出します。
シワカは王を検診して治療できると確信しますが、王の条件は@治療できなかったら首を切ることA嫌いなバターを使わないことでした。
バターはこの治療には必須でしたが、シワカはこの条件を呑みます。
王は薬を飲んでしばらくしてから、バターが入っていることに気づき激怒しますが、その時シワカは逃走した後でした。
王は足の速いカーカという家来を呼んで、シワカ・コマラパの首をとってくるように命じます。
カーカはシワカを捕まえますが、シワカは疲れ果て空腹のカーカの為においしそうな木の実に下剤を入れて差し出します。
カーカは始めは恐る恐る手を出しますが、つい我を忘れ木の実にムシャぶりつきます。
シワカは下痢による腹痛で動けなくなったカーカを残して立ち去ります。
カーカは打ち首を覚悟で重い足どりで王のもとに戻りますが、そこで待っていたのは歓喜するチャンタパチョー王でした。
長年の持病が回復したチャンタパチョー王は、シワカ・コマラパに医者としての讃辞と高級な織物を褒美として遣わします。
シワカはこの織物をブッダに捧げ、これをきっかけに仏教徒たちに織物の寄進が解禁されました。
それまでの仏教徒は埋葬された死体から剥ぎ取ったボロ布を着ていました。
現代でもよく見られる僧侶の黄色やオレンジ色の僧衣は、本来はウンチやおしっこが染み込んだ色の名残です。
歴史上のメルクマール(転換期)には、地球上の文化を飛躍的にジャンプ(進化向上)させますが、この時代はシワカが人々の体を治し、ブッダが人々の心を癒しました。 |
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